新しい仕事に挑戦した
3月に4年間(中高一貫の中3から高3まで)面倒を見た受験生たちに別れを告げ、4月から入試委員長を引き受けた。入学試験に係る仕事の全般をほぼ一人で統括する。信用第一。ミスは許されない。初めは全く仕事が見えないから、ほとんど全て前任者に教わることになる。これだけで階段や廊下を限りなく行き来した。とりあえず非効率な部分を除いては、全部昨年のやり方を踏襲した。この学校に長くいるわけでもないし、大して経験もないのだから当然のやり方であろう。
にもかかわらず、様々な局面でこの新米の委員長を傷つけにかかる教員がいるのには、失望せずにはいられなかった。誹謗中傷や嫌がらせに遭っては「こんな仕事いつでもやめてやるぜ!」と自棄的になって、パイプイスを廊下に思いっきり投げつけ、ロッカーを足蹴にする場面も(時々)あった(物に当たると結構すっきりする)。
救われていたのは、こんな時に限ってちゃんと情に厚い人たちが現れて、緩やかに支えてくれたことだ。愛車のブロンプトン(=ミニベロ)に乗れば、5分で家族の団欒の輪に癒されるという絶好の職住近接環境もあり、心理的には平穏無事を保つことができた。この点はとても有り難いことだと感謝してもしきれない。
いままで仕事の大半を占めていた担任や授業や部活動がほぼなくなった。業者との折衝や、生徒よりも扱いにくい(とされる)先生たちとの連絡や調整、事務的な仕事に一日の大部分が費やされることになった。しかしどの学校に赴任しても、結局数年経てばいつもこうなるのだ。日商でも佐和でも三高でも、後半は職務に専念せざるを得なくなって、授業にも部活動にも手が回らなくなるのが常だった。その分いまは、最初から授業は減らしてもらっているし、剣道は新任の優秀な教え子に任せられるから、仕事に向かう潔さという点では葛藤もなく、集中させてもらっている。
この年になって新しい仕事を憶えるのは結構苦痛だが、仕事内容は経験の積み重ねでカバーできると思っている。それに、こういう苦痛を味わった時期が過去にもあったという経験は、やはり何物にも代えがたい貴重な人生の財産なのだった。
息子に勇気づけられた

そんな仕事三昧の中にあって、中3の息子には何かと勇気づけられた。決して「できた」息子ではない(事実です)。むしろ親としてはいらつくことの方が多いのだが、その息子が中学校のバスケットボール部の市内大会で入賞し、地区大会に進出したのだった。
同じ学校にいて具に子どもの情報を得やすいというメリットもあり、親バカを存分に発揮して全試合を観戦しに行った。もちろんそのために超高価なビデオやカメラ(これらは当然の如く後に売却されたが)を購入するという気合の入りようである。
今まで一度も見たことがない息子の「闘志むき出しで」「一生懸命に」「頑張っている」姿を見たときは、あまりにも感動してしまった。かなり肥満気味で、運動嫌いだった息子が、中学入学と同時に運動部に入部するという信じられない行動に走り、その途端身長が伸びてスリムになり、声変わりしてニキビ面になっていくという激変ぶり。それにもまして、「運動選手として活躍する」とは誰が想像したであろうか。
年老いたこの父が、剣道の現役選手として活躍していたのはもう30年以上も前のことだが、あの頃によく感じた「気」をもらった。また、父として素直に息子をリスペクトできるようになったのは、ものすごく大きな自分自身の変容でもある。
再び車を買い換えた
仕事ばかりしているとお金が貯まる(らしい)。いや、貯まるほどの余裕があるわけではないが、コロナ禍も相俟って浪費が全くと言っていいほどなくなったのは事実だ。そこで、2年しか乗っていないメルセデス・ベンツ。これを乗り換えた。
ここで参考までに愛車遍歴を記しておく。因みに全て新車で購入した。
1989(23歳)~2002(36歳)
日産 ローレル(メダリスト)
2002(36歳)~2009(43歳)
フォルクス・ワーゲン ゴルフⅣワゴン(E)
2009(43歳)~2013(47歳)
トヨタ ヴェルファイア(X)
2013(47歳)~2016(50歳)
フォルクス・ワーゲン ゴルフⅦ(コンフォートライン)
2016(50歳)~2021(55歳)
フォルクス・ワーゲン パサートヴァリアント(トレンドライン)
2021(55歳)~2022(56歳)
メルセデス・ベンツ CLA 200dシューティングブレイク
2022(56歳)~
メルセデス・ベンツ C 220dステーションワゴン
最初のローレルは、14年間で374,000kmも走った。最期は茨城インターハイの準備に向かう筑西市の国道50号で、うんともすんとも動かなくなった。性能と耐久性に優れたいい車だった。その後、当時水戸二高にいた管井先生が乗っているのを真似てドイツ車に鞍替え。これは噂どおり高速道路を走っている途中、突然窓落ちした。その後他の3つの窓も落ちた。でも「運転する楽しさ」と「走りのよさ」は格別だった。途中、息子が生まれてファミリーワンボックスカーへの浮気心からヴェルファイアに乗ってみたけれど、「運転が楽しい」どころの車ではなく、大型トレーラーに追突大破したのをきっかけに再びドイツ車へ。パサート購入に至っては「人生最後の車」と決めていたのに、妻の車をプジョー308SW(2020年モデル)にしたとたん、「やっぱり人生最後の車はベンツに乗ってみたい」という昭和生まれ的な変な信念が芽生えてきて、CLAの購入に至ったのだった。
CLAは確かにデザインも秀逸。先進機能満載。「人生最後」を飾るのにふさわしい車であった。高速道路走行中も風切音は皆無。振動も少なく、どこまでも滑るように走って行く。安全機能も満載で適度にアシストしてくれる。そしてかっこいい(これ大事)。しかし、どうもしっくりこないのだった。なぜだか身体にも合わなくて疲れる(確かに低くてシートも小さい)。走りが軽快すぎる(VW車みたいな「鉄の塊」感がない)。
あるとき、東京都内を走っていたら、隣に座る妻が「この車、怖いから買い換えてよ」という(パサート購入時以来の非常に珍しい発言でした)。その頃は米株が絶好調でしこたま利益が乗っていたこともあり、モデルチェンジして日本発売が発表されたばかりのCクラスステーションワゴンを、2/17に発注した。
それから待つこと7か月。ヤナセから「日立港に入りました。9月中には納車します。」と連絡があったので、CLAを中古車アップルに売却。ところが、その後電装系プログラムの不具合が見つかり、書き換え完了に3か月(つまりこの間は車なし生活)を要して、12/21にようやく納車と相成った始末。とにもかくにも、待って待って待たされて、期待させられじらされて、またまた待ちに待たされて、漸く年末のクリスマスプレゼントがポンとやってきたような今年の一大騒動であった。
さて、こうして一年を総括してみると、やむを得ないとはいえ仕事の比重が高すぎたことは、どうしても否めない。人生の終盤の大切な1年間を、棒に振ってしまったとさえ感じる。そもそもこの学校に転属したのは、人生に余裕を生んでもっと楽しむためであった。それなのに、いままでの経験と同じ方向に進みつつあるのは、天命と言うべきなのか。残り少ない人生をいかに楽しく、思いどおり自由に生きるかという永遠且つ喫緊の課題は、十分達成できずにまた年越しとなってしまった。
